なる子とマーナル☆

少女の心を忘れない、なる子とマーナル☆によるアート・旅行・キッズ応援ブログ

平成初期の駐在ファミリー少年が友達を作るきっかけはファミコンだった。

東京ってみんな当たり前のように海外行っているよね。

 

東京には海外生活経験者が異様に多い気がする。

私の育った町ではまだまだめずらしかったのに。

 

最近もまた、多感な小学生期にドイツに住んでいた、という方に会いました。

 

まだ、日本=sushi samuraiの時代、インターネットもなく、やっとビデオデッキが登場した頃。

海外生活とは、日本文化からほぼ断絶されることを意味していた。それくらい、ヨーロッパと日本は遠かった。そんな昔のお話です。

 

 

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親の仕事でドイツに5年、一時帰国はたったの1回

まだ小学生だったその人は、毎日、日本が恋しくて恋しくて仕方がない。

同じ駐在ファミリーの日本人の友達が、「毎週おばあちゃんがジャンプを送ってくれる」と言えば読みに行き、日本からの転入生が入れば新しい日本の情報を貪り聞いた。

そして届かぬものに思いを馳せる。

 

「日本では、ビックリマンシールってのが流行っているらしい!いいなぁ!」

 

小学生の頃の海外生活は、そんな思い出ばかりなのだそうです。

 

 

 

そして、興味深かったのは人種差別についてのお話でした。

ドイツに住んでいた頃、差別は当然としてあるものだったそうです。

 

石を投げられ、汚い言葉をぶつけられる、そんなことは日常だったのだそう。

 

「え?平成初期にはそんなことが起こっていたの?」と私はびっくりしてしまいました。

 

学校で仲良くなれるのは、同じように差別を受けていた黒人の子だったりしたそうです。そんなドイツ系ドイツ人との関係を覆す、とんでもないものがありました。

 

ファミコンです。

 

「うち、ファミコンあるよ。スーパーマリオブラザーズできるよ。」の甘い言葉に誘われて、ドイツの少年たちが家に遊びにきたそうです。

この魔法の機器で、ドイツの少年たちはイチコロだったそう。

 

ファミコンすげー!日本すげー!」となってから、やっとドイツ人の友達ができたのだ、と言っていました。

 

今、差別は「してはいけない」世間の風潮があるから、ヨーロッパの人達は人種差別に対してものすごく気をつかっています。

 

もう、10年くらい前の話になるけれど、ロンドンはものすごく居心地が良かった。

ヨーロッパ人はみんな優しくて、私の下手くそな英語も一生懸命聞こうとしてくれた。

それが世間の目を気にして差別をしないようにやっていたことだとしても、出会った全ての優しい人達に私は感謝しています。

 

 

平成も最後の夏を越え、世界と日本との距離がそもそも近い

15年くらい前の話ですが、在英駐在ファミリーのお宅ではJチャンネルなるケーブルテレビのチャンネルが契約してあって、日本のテレビ番組が少しは見れていたし、日本食屋もたくさんあるし。日本人すっごいたくさん住んでるし。

 

私が滞在していた頃も、インターネットを繋げてからは、家族とSkypeで電話できたし、もうYouTubeもあったし、寂しい時はお笑いの動画を見て癒されていた。

(こんなことしてたら英語上達しないけどね)

 

まあ、私は大人だったので、自分で選択できた、というのはそもそもの大きな違い。

 

親の都合で海外生活を余儀なくされたその人は、「抜け落ちた5年間」と感じているのだそう。それってどんな気持ちなんだろう。。。

 

 

帰国子女の憂鬱

中の下ぐらいの家庭に生まれ、冴えない街で育ち、海外(特にヨーロッパ)への憧れが異常に強い私からすると、帰国子女なんて生まれた瞬間勝ち組家庭。羨ましくて仕方がないのだけど、帰国子女には帰国子女の憂鬱があるようです。

 

別の帰国子女の方と話した時も、日本しか知らない日本人との見えない溝を気にしているような気がしました。

 

初めに戻るけど、海外生活経験者が多いって話

今の子どもたちが大人になる頃には、もっともっと海外生活経験者って多くなっているはずなのです。

物事を多角的な視点から見て、自分の意見を発信することができる。

そんな日本人がどんどん増えるはずなのです。

 

そうすれば、彼ら彼女らの憂鬱も少し解消されるかな〜?

 

眠いので今日はこの辺で。